知的財産戦略は、業界によってまったく異なる顔を見せます。製薬企業が特許で市場を独占する一方、ファッション企業はブランド力とスピードで勝負する——こうした産業ごとの戦略の違いは、技術特性や市場構造の差から生まれています。本記事では、学術研究と企業事例をもとに、産業別の知財戦略類型を整理します。
知財戦略の基本類型:攻めと守りの視点
知財戦略は大きく「攻め(オフェンス)」と「守り(ディフェンス)」に分類できます。
攻めの戦略とは、特許や商標を積極的に取得・行使して競争優位を築く戦略です。自社技術の特許化による市場独占や、ブランド構築がこれに当たります。
守りの戦略は、技術の秘匿化や特許網の構築によって模倣防止・参入障壁を築く戦略です。ノウハウの秘密管理や、クロスライセンスによる牽制が代表例です。
さらに重要な概念が「オープン&クローズ戦略」です。経済産業省によれば、これは標準化と知的財産を一体的に活用し、市場創出とシェア拡大を両立させる事業戦略ツールです。自社技術を広く普及させる部分(オープン領域)と、独占する部分(クローズ領域)を切り分けることで、市場拡大と自社優位性確保を同時に実現します。
QRコードの事例が象徴的です。基本仕様を無償開放して業界標準とする一方、読み取り技術は秘匿化して自社製品の競争力を守るという戦略が採られています。
製薬産業:特許依存度が際立つ攻め重視の戦略
製薬産業の最大の特徴は、特許への依存度が極めて高いことです。新薬の有効成分は通常1件の物質特許で保護可能な場合があり、ジェネリック医薬品の参入を排除する強力な手段となります。「特許が切れれば売上が激減する」と言われるほど、特許期間中の独占利益に依存しています。
製薬企業は攻めの特許戦略で市場を独占しつつ、将来の守りも展開します。特許期間満了後を見据えて、新薬の販売名を商標登録し、医師や患者にブランドとして定着させておくのです。
また、周辺特許の蓄積による防衛も行われます。基幹特許に加え、製剤特許、適応症特許、製造プロセス特許など複数の特許を取得して「特許の束(パテント・クラスタ)」で自社製品を取り囲み、競合による改変・迂回を難しくします。
機械・自動車産業:特許網とクロスライセンスによる防衛
機械産業では、製品の構造や部品改良が中心であるため、多数の小発明・アイデアが生まれます。この分野の特徴は、特許と実用新案、ノウハウ秘匿を状況に応じて使い分ける点です。
機械産業の知財戦略は、製薬のように一本の特許で市場を独占することは難しく、むしろ複数の特許群やノウハウの蓄積で参入障壁を築く防衛的色彩が強い傾向です。自社でカバーしきれない周辺技術については、他社特許とのクロスライセンス(相互実施許諾)を結び、訴訟を回避しつつ製品開発を円滑に進めます。
自動車産業も同様です。一台の自動車には数万点の部品が含まれ、関連する特許も膨大です。このため、自動車メーカー各社は互いの特許をクロスライセンスすることで製品化を円滑にしています。
ただし、近年の電気自動車(EV)や自動運転技術では、攻めの動きも見られます。テスラは自社のEV関連特許を公開し、自社技術を業界標準として市場全体のEV化を促進する戦略を採りました。一方、トヨタはハイブリッド車関連特許を大規模に保有し、他社にライセンス供与するビジネスモデルを展開しています。
ソフトウェア産業:スピード重視と知財のブランディング活用
ソフトウェア産業の知財戦略は他の製造業と大きく異なります。技術の進歩速度が極めて速く、プロダクトライフサイクルが短いため、伝統的な特許による防御があまり効果的でない場合があるのです。
ソフトウェア企業は知財を攻めのマーケティングツールとして活用する傾向があります。自社の技術力を示すため特許を取得してプレスリリースを打つ、特許出願件数を投資家や取引先へのアピール材料とするなど、知財をブランディングや企業評価向上に役立てます。
ソフトウェアそのものは著作権で保護されますが、著作権はコードの具体的表現を守るに留まります。そのため、秘密保持(ノウハウ秘匿)やサービス化戦略(クラウドサービスとして提供しソースコードを開示しない)などで機能模倣を防ぐ守りの戦略を取ります。
また、オープンソース戦略も盛んです。自社ソフトを無償公開して開発コミュニティを形成し、市場標準を握ることで間接的に利益を得るケースもあります。IBMやRed Hatは取得特許をコミュニティ保護の盾とする哲学を掲げ、オープンソースの発展に寄与しながら関連サービスで収益を上げるモデルを確立しています。
ファッション産業:ブランド戦略とスピードが核心
ファッション産業は、流行の移り変わりが激しく商品ライフサイクルが短いという特性上、伝統的な知財権による保護が難しい分野です。衣服のデザインそのものは多くの場合著作権の保護対象になりにくく、特許も技術的発明がなければ取得できません。
このため、ファッション業界の知財戦略は主にブランド(商標)戦略とデザインの素早い更新による模倣回避に重きが置かれます。高級ファッションブランドはブランド名・ロゴ・モノグラム模様等を商標登録し、偽ブランド品や類似商標の排除を徹底します。
ユニクロ(ファーストリテイリング)のケースは現代のファッション企業の知財戦略を示す好例です。同社は商標権によるブランド防衛を最優先しつつ、吸湿発熱素材「ヒートテック」や「エアリズム」など機能性に関する特許を選択的に取得する戦略を取っています。一方で、デザインの意匠権保護は抑制的で、意匠権の保有件数は非常に限定的(2024年2月時点で21件)です。
この戦略により、ユニクロはブランド価値の向上と機能面の差別化(攻め)に資源を集中させ、デザイン模倣については毎シーズン新デザインを投入するスピードで対抗してきました。しかし、近年台頭したオンラインファストファッション企業SHEINが人気商品の類似品を投入し、ユニクロが不正競争防止法に基づく提訴を行う事態も生じています。
知財ミックス戦略:複数の権利を組み合わせる
知財ミックスとは、複数種類の知的財産権を組み合わせて自社製品・サービスを多面的に保護・活用する戦略です。例えばスマートフォンでは、通信やUIの技術は特許で保護し、筐体や画面レイアウトは意匠権で登録、製品名やロゴは商標で守り、プリインストールされたソフトウェアは著作権でも保護されています。
産業によって有効な知財ミックスの形も異なります。自動車では特許×商標×意匠の組合せが基本である一方、食品・飲料では特許×商標×営業秘密(製法の秘密や秘伝のタレ等)といった形が多く見られます。
スターバックス社の事例は示唆的です。店舗の空間デザインやコンセプトについて米国で意匠特許を取得し、ロゴや「グリーン・サイレン」アイコンは世界中で商標登録され、コーヒーレシピやノウハウは企業秘密として管理されています。このように特許・意匠・商標・営業秘密を駆使した総合戦略によって、スターバックスは単なるコーヒー豆の提供企業から体験を売るブランドへと昇華し、競争優位を維持しています。
産業別知財戦略比較表
| 産業分野 | 主要な知財活用 | 攻め・守りの戦略傾向 |
|---|---|---|
| 製薬 | 特許(新薬の物質特許)、商標(製品名) | 攻め重視:特許で市場独占し積極的に権利行使。守り:特許切れ後はブランド戦略で収益維持 |
| 機械 | 特許・実用新案で技術保護、秘匿ノウハウ | 守り重視:自社技術を特許網とノウハウ秘匿で囲い込み模倣を牽制。攻め:コア技術は特許取得、ライセンス収入も模索 |
| 自動車 | 特許大量保有、意匠権でデザイン保護、商標 | 守り重視:多数の特許を相互にクロスライセンスし牽制。攻め:EV・自動運転など新分野では特許公開や積極ライセンスで主導権争い |
| ソフトウェア | 著作権でコード保護、選択的に特許取得、商標 | 守り重視:技術革新が早く特許よりスピード優先。秘密管理や先行開発で優位確保。攻め:特許やOSSを提携・標準化に活用しPR・信用向上に活用 |
| ファッション | 商標でブランド保護、意匠権で一部デザイン保護、不正競争防止法 | 攻め重視:ブランドイメージ戦略が中心。定番デザインの継続投入で独自性訴求。守り:模倣品対策は商標権行使や不競法で防衛。デザイン権活用は限定的で脆弱性も |
まとめ:産業特性に応じた知財戦略の最適化が鍵
産業ごとに技術の性質や競争環境が異なることから、知財戦略のアプローチも千差万別です。製薬のように特許一本槍で収益を上げるモデルもあれば、ファッションのようにブランド力とスピードで勝負し法律は補助的な業界もあります。
どの産業においても共通して言えるのは、知財戦略が経営戦略と不可分に結びついているという点です。単に知財権を取るだけではなく、「攻め」と「守り」、「オープン」と「クローズ」のバランスをとり、自社のビジネスモデルに最適化した知財ミックスを構築することが重要です。
技術と法律の交差点に位置する知財戦略の研究は、今後ますます重要性を増すでしょう。デジタル化・グローバル化が進み、新興企業や異業種からの参入も増える中、知財戦略は従来以上に企業価値の源泉となっています。知財を「守りのコスト」ではなく「攻めの資産」として活用し、オープンイノベーションも取り入れながら知財エコシステムを構築していくことが、日本企業全体の競争力向上にもつながると期待されます。
参考文献
- 志村勇「産業界の知的財産紛争戦略」『日本知財学会誌』Vol.11 No.3 (2015)
- 秋元浩「知財情報を活用した企業戦略~ライフサイエンス分野を中心として~」『情報管理』54巻7号 (2012)
- 中小企業研究センター「中小企業の知的財産戦略に関する調査研究~イノベーション・エコシステムの構築に注目して~」(2022)
- 経済産業省「『オープン&クローズ戦略』事例集」(2020)
- 知財HRコラム「知財ミックスで自社製品を守ろう」(2023)
- TechnoProducer株式会社「ファーストリテイリングの知財戦略:LifeWearの思想とグローバル成長を支える無形資産の防衛と活用」レポート (2025)
- 特許庁「一歩先行く国内外ベンチャー企業の知財戦略事例集」(2018) 他.
- 知財戦略は事業成功のカギ!企業が知的財産を活用して競争優位を築く方法を紹介
https://ipmarket.jp/column/ip_strategy/ - 学会誌・資料:日本知財学会誌|一般社団法人 日本知財学会
https://www.ipaj.org/bulletin/backnumber/JIPAJ11-3/p5-12.html - ファーストリテイリングの知財戦略:LifeWearの思想とグローバル成長を支える無形資産の防衛と活用 |TechnoProducer株式会社|
https://www.techno-producer.com/ai-report/fast-retailing_ip_strategy_report/ - 「オープン&クローズ戦略」事例集 (METI/経済産業省)
https://www.meti.go.jp/policy/economy/hyojun-kijun/sesaku/open-close/index.html - 中小企業の知的財産戦略に関する調査研究~イノベーション・エコシステムの構築に注目して~ | 中小企業研究センター
https://www.chukiken.or.jp/report/2457/
https://www.jstage.jst.go.jp/article/johokanri/54/7/54_7_377/_pdf - エバーグリーニング戦略とは? – 投資用語集
https://www.glossary.jp/econ/economy/evergreening-strategy.php - 第25講 (追補)工作機械と知的財産
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https://www.jpo.go.jp/support/startup/document/index/h29_01_1.pdf - オープンソースと特許の最適解:Red Hatの知財戦略 – IP design News
https://ipdesign.blog/
2025/05/10/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%81%A8%E7%89%B9%E8%A8%B1%
hat%E3%81%AE%E7%9F%A5%E8%B2%A1%E6%88%A6%E7%95%A5/ - 知財ミックスで自社製品を守ろう〖基礎知識〗〖知財HR〗
https://hr.tokkyo-lab.com/column/pinfosb/chizaimix - [PDF] 知財ミックスによるビジネスモデル保護の戦略 – 日本知的財産協会
http://www.jipa.or.jp/kaiin/kikansi/honbun/2022_05_557.pdf - 知財戦略こそが、日本企業の未来を拓く経営の羅針盤
https://www.nri.com/jp/media/column/mcs_blog/20250930.html

株式会社LeXi/Vent 代表取締役
化学メーカーでマテリアルズ・インフォマティクスなど機械学習の研究開発に従事後、知的財産部で特許情報分析(IPランドスケープ)を従事。その後現職では、IPランドスケープ専任で知的財産戦略、テクノロジーインテリジェンス、知財人材教育に関する業務を行なっている。同時に副業で個人事業「LeXi/Vent」を設立し、士業・コンサルタントのブランディング支援を行いながら、「知財若手の会」コミュニティを運営。

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