CO₂削減効果を財務価値に変え、知財経営とESG経営をつなぐ
はじめまして。台湾出身の呂勁毅と申します。現在は、1961年に米国で創業し、60年以上の歴史を持つコンサルティング会社 Frost & Sullivan の日本法人で、未来価値共創室長として、将来の産業変化を見据えた新規事業や技術戦略の支援に取り組んでいます。
このたび、日本弁理士会の会誌『パテント』2026年10月号に、上村侑太郎氏、高梨裕生氏と共同で執筆した論文「特許の環境価値定量化フレームワークの構築と国際ESG経営実務への応用」が掲載されることになりました。
タイトルだけ見ると、少し堅い話に聞こえるかもしれません。しかし、出発点にあるのは、私が仕事をするなかで感じてきた、ごく実務的な疑問です。「この技術には価値がある」と言うとき、その価値を、お客様や経営者、投資家に伝わる形で説明できているだろうか。今回は論文の詳しい解説よりも、なぜ私がこのテーマを考えるようになったのかを、これまでの経歴とともにお話ししたいと思います。
1.エネルギーの現場から、特許の世界へ
私のキャリアの中心は、エネルギーと事業開発です。台湾で材料科学を学び、英国の大学院では持続可能なエネルギーと環境を専攻しました。仕事では、太陽光、原子力、火力、風力と、さまざまなエネルギー分野に関わってきました。
アルバック、CTCI、三菱重工、シーメンス、Schneider Electric など、各分野で国際的に事業を展開する企業で、エンジニア、技術営業、事業開発と立場を変えながら働いてきました。2015年に三菱重工へ入社したことをきっかけに、日本へ移り住みました。
こうした現場で、繰り返し感じていたことがあります。製品が完成し、市場も競合も固まった段階で営業を始めると、どうしても価格や納期の競争になりやすいということです。もちろん、そこで案件を取り切ることも営業の大事な仕事です。ただ、技術の違いが見えにくくなるほど、「もう少し安く」「もう少し早く」という交渉が中心になります。それは、市場の成熟や競争の激化を示すサインでもあります。
それなら、製品ができるもっと前から関われないか。どの課題を解くのか、誰に使ってもらうのか、何を自社の強みにするのか。そうした選択がまだ動かせる段階から事業開発に入れば、競争優位そのものをつくれるのではないか。そう考えるようになりました。
2.「最強の事業開発人材」を目指して
そのとき、強力な道具になると感じたのが特許です。技術の中身を理解し、競合の動きを読み、自社が押さえるべき領域を考える。事業開発に特許の視点を加えれば、できることはもっと増えるはずです。何より、技術とビジネスと法律が交わる特許の世界を、純粋に面白いと思いました。
私が弁理士を目指した理由を一言で言えば、「最強の事業開発人材になりたかったから」です。これまでの私の本業は、一貫して弁理士資格を必要とする仕事ではありませんでした。それでも、特許を本気で理解するなら、資格取得まで挑戦してみようと思いました。少し極端かもしれませんが、やるならそこまでやってみたい性格です。
働きながら勉強し、約10か月の学習で2021年の弁理士試験に一発合格し、2022年に登録しました。仕事と勉強をどう両立したのか、限られた時間をどう使ったのかについては、資格スクエアのYouTubeでお話ししています。ご関心のある方は、こちらもご覧いただければと思います。
YouTube:働きながら約10か月で弁理士試験に一発合格――仕事と勉強の両立についてのインタビュー
資格取得後も、私の関心は一貫して「特許をどう事業に使うか」にあります。明細書作成や出願・権利化を自分の仕事の中心に据えてきたわけではありません。技術の強みを、事業の強さにつなげる。そのために知財をどう活かせるかを考えてきました。
3.10年後の未来と、今ある技術をつなぐ
現在取り組んでいるシナリオプランニングも、その延長にあります。3年後、5年後であれば、既存の技術、市場、製品、競合の動きから将来を考えられる部分があります。しかし、10年先を考えると、現在の延長線だけでは捉えにくい変化が出てきます。規制や社会の価値観が変わり、異なる産業の技術が組み合わさり、今は競合ではない企業が市場に入ってくるかもしれません。
そこで、技術情報やメガトレンドのデータベース、グローバルな調査知見を使い、複数のあり得る未来を構造的に描く。そのうえで、自社がどこに向かい、今から何を準備するのかを考えます。欧米でも活用されてきたこのアプローチを、日本企業の具体的な事業判断につなげていきたいと考えています。
これは、IPランドスケープとも相性がよいと感じています。分析が丁寧にできていても、経営判断に結びつかないことがあります。その背景には、調査の出発点で「どのような未来を想定し、何を判断したいのか」が十分に共有されていないという問題もあるのではないでしょうか。
将来の産業や顧客の変化を描き、そこから必要な技術や事業機会を考え、自社の技術資産と照らし合わせる。シナリオプランニングとIPランドスケープを組み合わせることで、分析結果を、新規事業や研究開発への意思決定に近づけたいと思っています。
4.知財部門とサステナビリティ部門の共通の悩み
今回の論文の直接のきっかけは、前職で脱炭素コンサルティングに携わった経験でした。脱炭素の仕事では、排出量を減らす方法だけでなく、その成果をどう定量化し、どう開示し、事業上のメリットにつなげるかが重要になります。設備を導入して何トン減ったのか。その投資はどの程度で回収できるのか。取り組みを、お客様や投資家にどう説明するのか。こうした問いに向き合っていました。
そのなかで、知財部門とサステナビリティ部門は、よく似た悩みを持っていると感じました。専門分野も、普段使っている言葉も違います。しかし、どちらも「自分たちの活動が、会社にどのような価値をもたらしているのか」を経営層へ説明する必要があります。特許の件数や技術的な優位性、CO₂削減量や環境活動の実績を、そのまま報告するだけでは、次の投資判断にはつながりにくい。専門的な成果を、経営が判断できる言葉に置き換える必要があります。
私は事業開発、知財、脱炭素という複数の実務に関わる機会があったことで、それぞれの分野で蓄積されている知見が、もう少しつながってもよいのではないかと思うようになりました。特に気になったのが、特許の「環境価値」です。
「この特許は環境にやさしい」「この技術は脱炭素に貢献する」。こうした説明には意味があります。ただ、事業開発の立場からすると、もう一歩先を知りたくなります。従来の技術と比べて、どの条件で、どの程度の排出量を減らせるのか。その違いは、お客様や自社にとって、どのような経済的な意味を持つのかということです。
WIPO GREENのように、環境技術の提供者と、その技術を必要とする人をつなぐ仕組みもあります。その役割は重要です。一方、個々の特許技術の導入効果を、CO₂削減量や経営上の便益として評価するには、さらに具体的な算定の手順が必要になります。
ここで、脱炭素の実務で使ってきた知識がつながりました。温室効果ガスの排出量を算定するための国際的な基準や、製品のライフサイクルを評価する考え方は、すでにあります。それらを、特許に記載された技術情報と組み合わせられないだろうか。これが今回の論文の出発点です。
5.特許と金額の間に「CO₂削減量」を置く
私が考えたのは、特許と金額の間に「CO₂削減量」を置くことでした。特許を扱う側では、脱炭素の算定手法に触れる機会が少ないかもしれません。一方、排出量を計算する側では、特許のどこを読めば、従来技術との違いや発明の効果を把握できるのかが見えにくい。この専門分野の間をつなぐことに、実務上の可能性を感じました。
特許明細書には、発明が解決しようとする課題や従来技術との違いが記載されています。実施例や比較例に、エネルギー消費量、変換効率、材料使用量、製品寿命などの具体的な数値が示されていることもあります。必要なデータがそろっていれば、それらを手掛かりに、発明を実施した場合の排出削減効果を評価できるのではないかと考えました。
従来技術との性能差を把握し、CO₂削減量を算定する。そのうえで、炭素価格や、企業が投資判断などに用いるインターナルカーボンプライシング(ICP、社内炭素価格)を適用して、環境面の便益を金額で示す。論文では、この流れを既存の国際的な算定・評価の考え方に接続しています。
この方法に期待しているのは、評価の根拠をたどりやすくできることです。どの技術的な違いが、どの程度の排出削減につながり、どの炭素価格を前提に金額へ換算されたのか。数字に至る過程を共有できれば、知財、技術、サステナビリティ、財務の担当者が、同じ前提で議論しやすくなります。特許の価値をいきなり一つの金額で示す難しさに対して、環境面の便益という、検証可能な評価の切り口を加えたいと考えています。
もちろん、比較対象や使用条件、排出係数、炭素価格によって結果は変わります。明細書だけではデータが足りず、実測や追加検証が必要な場合もあります。また、ここで評価する環境面の便益は、特許権そのものの売買価格とは区別する必要があります。こうした条件を明確にしながら、特許技術の価値を説明する材料を増やしていくことが、この提案の狙いです。
6.算定した環境価値を、商機と資金調達へ
そして、数字を出した後に何へつなげるかが、私にとっては大事なところです。排出削減効果と、その実現手段を説明できれば、企業の脱炭素計画に技術的な裏付けを加えられます。国際的なサステナビリティ開示の枠組みに沿って伝えることで、投資家が、その企業の計画や成長機会を評価する材料にもなります。特許は、将来の環境目標をどの技術で実現するのかを語るための情報源にもなり得ます。
営業の面でも、意味があります。例えばtsmcは、サプライヤー選定に脱炭素の実績を組み込む方針を公表しています。顧客がサプライチェーン全体の排出量、つまりScope 3への対応を進めるなかで、自社製品の排出量や削減効果を説明する力は、取引先としての評価に関わってきます。
「この製品は環境にやさしい」という説明に加えて、顧客のどの活動で、どの程度の排出削減に役立つのかを示せるようになる。その効果を支える技術に特許があれば、環境面の便益と技術的な差別化を結びつけて提案できます。私が最初に感じていた、価格や納期の競争からどう抜け出すかという問いにも、ここでつながってきます。
さらに、中小企業の資金調達にも可能性があると考えています。特許の価値は、それを使う企業の事業や、組み合わせる技術によって大きく変わります。ある企業には重要でも、別の企業には使い道がないこともある。売却して換金できる価値を評価しにくいことは、特許を担保として扱う際の難しさの一つです。
そこで関心を持っているのが、サステナビリティ・リンク・ローン(SLL)との接続です。SLLは、あらかじめ設定したサステナビリティに関する目標の達成状況と、融資条件を連動させる仕組みです。KPIはCDPスコアに限定されず、事業上重要な排出量なども対象となり得ます。その際には、指標の重要性や測定可能性、目標の野心性、達成状況の報告・検証などが求められます。
中小企業にとっては、環境データの収集や対外的な評価への対応に、人手や費用をかけにくいという課題があります。一方で、優れた省エネ技術や環境技術を持っている企業は少なくありません。その技術が生む排出削減効果を、保有特許や実測データを手掛かりに説明できれば、事業の実態に合ったKPIや目標を金融機関と検討する材料になるのではないでしょうか。
例えば、自社の中核工程に特許技術を導入し、排出量を継続的に減らす。その達成状況を検証可能な形で示し、融資条件につなげていく。特許を持っているだけで融資が受けられるわけではありませんが、技術の強みを、資金調達の場で説明する道を広げられるかもしれません。それが環境技術への研究開発投資を後押しするなら、企業にも社会にも意味のある循環になると思っています。
7.専門分野の間にある可能性を、皆さんと考えたい
今回の論文は、こうした可能性を皆さんと議論するために書きました。サステナビリティの重要性に関心が集まることは、よいことだと思います。ただ、現場では「大切なのはわかった。では、具体的にどうすればよいのか」という問いが残ります。
私には、エネルギーの現場で働き、事業開発を経験し、特許を学び、脱炭素の実務に関わってきたという経歴があります。それぞれの仕事で得た知識をつなぐことで、この問いに対して何か一つ、具体的な方法を示せるのではないかと思いました。既存の算定手法と特許情報を組み合わせた今回の提案が、その一歩になればと考えています。
詳しい算定方法やケーススタディは、『パテント』2026年10月号の論文をご覧いただければ幸いです。そのうえで、「この技術にも使えるのではないか」「ここには追加のデータが必要だ」「金融機関の立場では、こういう説明がほしい」といったご意見を、ぜひ伺いたいと思っています。
知財の方、技術の方、サステナビリティの方、金融の方。それぞれが普段使っている知識を持ち寄ることで、まだ見えていなかった活用方法が生まれるかもしれません。私自身も、そこを一緒に考えていきたいと思っています。

Frost & Sullivan Japan 未来価値共創室長/弁理士
台湾出身。国立清華大学で材料科学、英国カーディフ大学大学院で持続可能なエネルギー・環境を専攻。アルバック、三菱重工、シーメンス、Schneider Electricなどで、エネルギー分野のエンジニアリング、技術営業・事業開発に従事。2015年に来日、2022年に弁理士登録。現在は、シナリオプランニングとIPランドスケープを組み合わせ、将来の産業変化を見据えた新規事業・技術戦略を支援。脱炭素コンサルティングの経験を活かし、特許の環境価値の定量化や、知財経営とESG経営の接続にも取り組んでいる。




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