特許庁審査官を目指し、そして退職して新たな挑戦をしている理由

はじめまして。保田亨介と申します。「ダーヤス.com」という名前でXもやっております。

19年半ほど特許庁審査官を経験し、その後弁理士・中小企業診断士として活動をしております。

これまで、本メディアにおいて審査官をご経験された方の記事がなく、審査官を経験した人間のこれまでとこれからについて語ることに価値があると考えましたため、このテーマで語ってみたいと思います。

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特許庁審査官を目指した理由

きれいごとを抜きにして、あけすけに申し上げます。

特許庁審査官を目指した理由は、結婚したかったからです。

あるきっかけで、特許庁審査官になれば、彼女ができて結婚までできると考えました。

当時私は工学部電気通信学科の大学4年生でした。

その大学のその学科は、ほぼ男子校みたいな男女比で、研究が忙しくてバイトやサークル活動をする余裕が私にはありませんでしたから、彼女がおりませんでした。

というか、別に研究が忙しくない大学一年生とかにも彼女がおりませんでした。

何なら、高校生時代も彼女がおりませんでした。

つまり、彼女がいたことがありませんでした。

おそらくこのまま大学院に行っても研究が忙しくて彼女ができないでしょうし、就職してエンジニアになったら、理系だからほとんど女性がいない職場でしかも仕事が忙しくて彼女ができる見込みがない。

と当時の私は絶望しておりました。

そんな生活を送っていた夏休みのある日、一縷の希望が私に降り注ぎました。

夏休みになると、研究室の先輩方が大学に遊びに来て近況報告をしてくれたりするのですが、その先輩方のうちの一人が、特許庁に審査官として就職した人でした。

そして、つい4~5か月くらい前の大学時代には彼女がいなかったはずなのに、もうすでに彼女ができた、というか、婚約までした、という話をしてきました。

どうやら、国家公務員一種(今でいう、国家公務員総合職)になると、就職してすぐに「代々木研究(いまでいうオリセン研修)」なる、2泊3日の合宿研究があるらしいのです。

その研修は、内閣総理大臣も挨拶に来るほどの大規模なもので、その4月に入省・入庁したすべての国家公務員一種の官僚たちが一堂に集まってなされるものだそうでした。

そして、その代々木研修中に、その先輩は他省庁の国家公務員の彼女を作り、そしてすぐに婚約したらしいのです。

私は衝撃を受けました。

彼女を作るということですら難儀なのに、就職直後の研修中だけで知り合った相手(しかも同じ省庁じゃなくて他省庁の相手)と出逢ってすぐに結婚できてしまうとは。

それほど代々木研修というものの力はスゴイのか。

そして、先輩の入庁した特許庁というところは、すべての省庁のなかでも極めて仕事と私生活の両立がしやすく、仕事さえしてれば個人プレーで業務ができて早く帰れる上に有給が取りやすい、さらに給料も、専門行政職という扱いで、通常の官僚よりも基本給が高く設定されている。だからこそ結婚もしやすい。

これしかない、と私は思いました。

今後、彼女ができるかどうか、結婚できるかどうかは、私が特許庁審査官になって代々木研修の魔力で彼女を作り、特許庁のホワイトぶりで結婚に至る。

このレジェンドを再現するしかない、と私は燃えました。

それから私は猛勉強を開始し、翌年の国家公務員一種試験に合格し、晴れて特許庁審査官になりました。

なお、代々木研修中に彼女を作るというレジェンドの再現はできませんでしたが、入庁1年目で彼女を作り、無事に結婚して今では2人の子供がおります。

特許庁審査官としての入庁から中堅くらいまでの話

特許庁審査官として入庁すると、「審査官補心得」として業務を開始します。

これは試用期間中の呼び名ですね。

試用期間の3か月が過ぎると、晴れて「心得」が取れて、「審査官補」になれます。

なんか、「心得」がついていたほうがかっこいいので、ちょっと残念な気持ちになりました。

そして指導審査官と呼ばれるメンターにつきっきりでOJTを受けたり、数々の研修や出張を経験したりしながら、入庁2~4年後に「審査官」として独り立ちできます。

「審査官」になってから1~2年くらいすると、「併任」又は「出向」というものに行くことになります。

これは、特許庁内の調整課や総務課といった事務系の部署や、本省や他省庁への出向を指します。

審査官としての、日々もくもくとPCや書面に向かう個人裁量の業務とは異なり、併任や出向では、コミュ力を駆使したチームワークが求められます。

さらに、審査官であれば早く帰れたり休暇が取れたりしたのに対し、併任や出向では、一人欠けると業務が進まないという事態が往々にして起こるうえ、業務量も莫大なため、残業が多いうえに休暇が取りにくくなります。

今ではだいぶ改善されたかと思いますが、私が入庁6年目で併任になったときには、毎月残業時間が100時間は超えてまして、有給は当然ながら使う暇がありませんでした。

これでもまだかわいいほうで、「残業時間及び時間外労働だけで」200時間を超えるような部署もありました。土日出勤が当たり前の部署だと、300時間に迫ることもあるみたいでしたね。

なので、ほぼほぼノー残業でもイケるくらいの天国審査官生活を送った人間からすれば、併任及び出向は、部署ガチャで失敗すると、ワークライフバランスが一気に崩壊するため、併任及び出向を断る審査官もいたようでした。

まあ断ったとしても、必ずしも希望通りにいくとは限らないところが、組織に生きる労働者の悲しいところではありますが、そこは仕方がない面でしょう。

逆に、併任や出向に行く人間は、上層部から「こいつは将来の幹部候補だ」と認定されているわけですから、併任や出向がかかると、むしろ喜んだほうがいいでしょう。

ちなみに私は同じ審査第四部の同期の中で最も早く併任のお声がかかったので、「ああ自分は出世レールに乗っている」と誇りに思いました。

そして1~2年の、併任・出向という「修業期間」を無事乗り越えた暁には、「海外留学」というご褒美タイムが待っています。

これは、「海外留学」という名のもと、1~2年の海外生活を謳歌できるという、修業期間を乗り越えた勇者に与えられる素晴らしいものです。

留学中は、管理職の目が届かないところでのびのびと業務(?)ができる上に、海外滞在費用が給料とは別途支給されるため、銀行口座に振り込まれる額は通常の2倍弱くらいにはなりますし、それでいて審査のノルマにも追われないという素敵なゴールデンタイムを送れます。

留学にも種類があり、「知財留学」という形だと、海外のLLMで学位をとった後に、2年目は海外の特許事務所等でインターン生活を送ることになるため、やや忙しいです。しかし実務力と学位が手に入るので、その後のキャリアを考えると、大きいでしょう。

私のいった「先端技術留学」というものは、海外の大学で「先端技術(?)」をしっかり(?)学ぶというプランなのですが、これがもう、行ったもん勝ちの素晴らしいスキームで、一言でいうと最高でした。

私はイギリスで、パラダイスのような1年間を過ごしました。

なお、一昔前は、海外留学なんて喜んでいくものだと思ってましたが、最近の若い人は、必ずしも海外志向が強くない傾向があると聞きまして、海外留学の話がきても断る、みたいなことを耳にしました。

もったいないので行きましょう。

海外留学以外にも、国内の大学に留学するスキームもあるにはあり、それはそれで素晴らしいのですが、やはり海外で生活する時間は、何物にも代えがたいです。

そして、留学という甘い汁を吸った人間は、その後、再度の併任・出向に回されまくって様々な実務経験を叩き込まれ、エリート管理職になるための訓練が待ち受けております。

なお、私は、留学直後に妻の妊娠が発覚したので、すぐに育児モードに切り替えたため、甘い汁だけ吸って、その後の訓練は拒否しました。

税金使って留学に行くという飴をなめておきながら、自分の都合で忙しい部署への異動を拒否することなんてできないかと思っていましたけど、拒否できたので、なんか申し訳ないなと恐縮しました。

とはいえ、異動はなくても、やはり留学という甘い汁を吸った人間には、審査以外の重めの周辺業務が振ってきます。

私の場合は、異動のバーターとして「採用担当」という使命が与えられました。

審査部においては、審査第一部から審査第四部まで、それぞれの部署に「採用チーム」がいるのですけど、私は審査第四部の所属だったので、四部の採用チームの中核みたいな役割が割り当てられました。

具体的には、春と夏の官庁訪問のときに学生さんや志願者の面接をしたりするのがピークの忙しさで、他には不定期に採用に係る仕事をするという業務です。

この官庁訪問対応が、めちゃくちゃ忙しくて、終電近くまで残業になるということが多い。

さらにこの「採用担当」、具体的にいつまでの任期かというのも定まってなくて、前任が5年間もずっとやっていてようやく後任が私になったから解放されるという体で、そしたら私もこの先5年間もずっとこれやるのかと思うと、ちょっとげんなりしたんですね。

もうすぐ子供生まれるから、子供生まれたら育休とか取りたかったですし。

というわけで、数か月これをやったあと、偉い人に「採用担当外してください」とお願いしました。

そうしたら、偉い人の個室に呼ばれて、かなり説得されましたが、それでも交渉して、ようやく外してもらえました。

そんなことをやっているから、なんか審査第四部で居づらくなってきてしまいました。

そんな折、当時の特許庁で一番偉い人が、「なんか審査第二部だけ仕事量に対して審査官の数が少なくないか?ほかの部署から人を持ってきた方がよくないか?」みたいな案を出したんですね。

なので、四部からも各審査室から1名くらいずつ、審査官を二部に異動させる必要が出てきました。

それまで、部をまたいだ審査官の異動って、ほぼなかったのですよ。

審査部→併任又は出向→審査部、という流れの際に、併任後に他部に着地する、という不幸な(?)パターンはごくまれにあったのですけど、審査部→審査部、という、併任や出向を介さずにダイレクトに他部に異動するというパターンは、ほぼ聞いたことが無かったんですね。

で、部ごとにやっぱり風土というかカラーがあるみたいなんですね。

なんというか、四部は電気系という扱う技術も関係してるのかもしれませんが、オタクであまり人づきあいが得意な人が多くない雰囲気がある反面、機械系の二部はなんとなく体育会系で陽キャが多いというような、あくまでイメージ。

だから、私の審査室では、誰も二部に行きたがらなかった。

しかし前述のとおり、私は四部でちょっと居心地悪くなりつつあったし、なんとなく機械系に興味があったし、自分をチェンジするつもりで、この異動に手を挙げました。

そしたらあっさり異動がかなって、二部に異動となりました。

やっぱり知り合いも全然いないし、マジで最初は孤独だったのですけど、なんか異様に雰囲気よくて管理職もみなさんも優しくて、育児と仕事の両立がめちゃしやすかった。

扱う技術も新鮮で、最初はネジとかの固着技術と、防振関係技術をやっていたのですけど、それまで目に見えない通信信号送受の制御の話ばかりやっていたので、有体物の審査をやるというのが面白かった。

関連技術の展示会に行く機会も審査官には与えられているのですが、やはり有体物の審査をやっていると、いつもは図面だけで見ているものが、実物として目の前で見ることができるのは感動が多かったです。

特許庁審査官としてのキャリアパス

ところで話はそれますが、審査官として入庁すると、最初はよーいスタートでほぼみんな横並びで級が上がっていき、キャリアパスもほぼ横並びですけど、入庁して6年目くらいから、併任先がどこになるか、や、そもそも併任のお声がかかるかで、キャリアパスが変わってきます。

さらに、留学から帰ってきて2回目以降の併任にいくかどうかでも、変わってきます。

おおむね、併任や出向にいきまくって、ほとんど審査してない審査官のほうが、出世コースです。

審査官や審判官を7年間やると、弁理士試験が免除になるというおいしい役得が審査官にはあるのですけど、出世コースに乗れば乗るほど、この「7年」の条件が満たせなくなっていき、中には定年直前の上がりのポストでいよいよ退職、という段になって、この「7年」条件が満たせていないからどうしようかみたいな話もあるとかないとか。

一方、併任に行かずに定年まで審査だけやってキャリアを終える、みたいな人もいますね。

どっちがいいのかはよくわかりません。

併任や出向に行くと当然忙しくなりますし、出世すればするほど、50代で上がりのポストに行っちゃって、50代のうちに特許庁を退職しなければいけないという話にもなります。

一方、審査だけやっている人は、管理職にならないパターンが多いので、役職による強制肩たたきみたいのもないから、定年までずっとワークライフバランスを保ったまま職業人生を終えることができます。

よく、特許庁はホワイト企業ランキング上位に来たりしますけど、このホワイト感は、ほぼ審査部だけです。

なので、ワークライフバランス目的で特許庁審査官になりたいのであれば、併任や出向に行かないのが正解ですね。

とはいえ、審査だけやっていると、人的ネットワークや経験という点ではほぼ壊滅的なので、それで人生終えていいのかという気持ちは私にはあります。

やはり、併任や出向をして、出世して、いろんな経験をし、苦労を共にする人たちとの関係性を構築していくほうが、人生トータルでみたときに、いい思い出が残ると思いますね。

特許庁審査官としての中堅からベテランくらいまでの話

そんな形で二部としてもすっかりなじみができ、指導審査官もたくさんさせてもらうようになりました。

四部時代に審査官昇任すぐに1名持たせてもらってはいたのですが、二部に来てからトータル4名の審査官補の指導をさせていただきました。

あれは楽しい経験でした。やはり、教えるというのは勉強になりますね。

で、大体中堅クラスになると、「審判官コース研修」というのを受けさせられることになります。

審判官というと、ほとんど審査部でいう管理職クラスの人ばかりしかいないのですけど、そのうち一部は、「ローテ審判官」といって、比較的若い人間が、実地研修みたいな形で1年間、審判部に異動になるのですね。

この審判ローテーションにいくためには、審判官コース研修を受講して合格しなければならない。

これもなかなか骨のある研修で、普段の審査をやりながらの研修なのでハードなのですけど、これをクリアして私も審判部に行きました。

審判部では1件1件、3名体制の「合議体」というものを組む必要があるうえ、当時はコロナ禍で出勤制限がかかった状態だったので、まず3名のスケジュールを合わせるのが大変でした。

さらに準備も大変。

主任として入ると、各案件のそれまでの経緯や、本願説明、引例説明などを細かくする必要があるのですが、審判長からめっちゃ突っ込まれるので、隅々まで、まるで学生時代の期末試験対策をするかのように、すべての段落の細かい箇所まで勉強してから合議に臨みました。

そして、合議が終わってからも起案が厳しくて、審査部時代とは計り知れないほどの労力が1件あたりでかかりました。

審査部時代でも毎月のノルマはあるのですが、ほぼ自己裁量でこなせた審査部時代と比べて、合議→厳しい起案→持ち回り決済→だめなら修正→持ち回り決済を繰り返す審判官の仕事は半端なく大変でした。

そうしているうちに1年間終えると、すっきりした気持ちで審査部に着任できました。

このタイミングで「管理職研修」を受けることになり、いよいよ管理職一歩手前です。

グループ長を拝命して、管理職と各審査官との橋渡し的な存在として、通常の審査業務以外の責任を全うすることになります。

多少併任や出向は断ったものの、このままいけば管理職としていい職業人生で終えられるだろうなとは思いました。

外の世界に出てみたい気持ち

とはいえ、やはり外の世界に挑戦したい気持ちはありました。

割と審査官補の初期段階からもこういう気持ちが無かったわけではありません。

もくもくと書面に向かって大変なノルマを毎日こなす生活を送っている一方で、世間ではもっと高い給料をもらってバリバリやっているエリサラがいるわけですね。

そういう世界と自分を比べて、これでいいのかなと考えて、入庁後3年目くらいからは、よく転職サイトで外資コンサルの求人情報などをチラ見したりしていました。

でも、決定的に「このまま特許庁審査官で終わっていいのかな」と思うようになったきっかけは、35歳のころでした。

特許庁は経産省の一部なのですが、経産省全体として、「スタートアップを支援しよう」という流れが当時起こりました。

それで、特許庁審査官もそれにならいましょうということになったのですが、審査官だとやれる範囲が限られているわけです。

たとえば審査基準はどの出願人に対しても一律ですから、大企業に対しては厳しめの審査をして、スタートアップには優しい審査をしましょう、なんてことはできないわけです。

できることと言ったら、まあ面接審査や起案の書き方などの対応は、より丁寧に行いましょう、くらいのものでした。

日本の企業の99.7%が中小企業であり、その部分を底上げしないと、日本経済が沈んでしまうという危機感があるなか、審査官としては直接的に中小企業をサポートできないというもどかしさが、だんだん私を焦らせてきました。

そして、ちょうど審判部のローテにいたとき、上記のように、毎案件テスト勉強のように重箱の隅まで暗記してから合議に臨むことが、なんとなく、時間を浪費しているように感じられてきて、「なにかもっと有意義なことをしよう」と思うに至りました。

とはいえ公務員ですから、副業で何かしようということをできるはずもありません。

なので、まずは世の中の中小企業の皆さんが当たり前に身に着けているビジネス知識の勉強をするところから始めました。

具体的には、「中小企業診断士」という資格試験の勉強をしたわけです。

全部で一次試験7科目あり、二次試験は4科目あって、その科目数と内容から、この資格試験をクリアすれば、ビジネスの基礎知識はすべて備えられるだろうと考えました。

ただ、予備校に通う時間もないし、テキストや問題集も全部買っていたらお金もかかりそうなので、全部ブックオフで210円棚に入っているやつだけでテキストと問題集を買い集めました。

中には、資格試験は最新のテキストを買わなければ意味ないみたいな意見もありますが、科目によっては必ずしもそうではないので、古いテキストでも十分に対応できます。

それを毎日の隙間時間で狂うように勉強した結果、見事ストレートで合格することができました。

これは自信になりました。

中小企業診断士の資格を活かすには、外にでるしかない

中小企業診断士は、独立するか、企業内診断士として活動するかの二択を迫られます。

副業OKの会社であれば、本業とは別に副業で診断士として大活躍している先輩方も多いです。

私の場合は当然副業禁止なので、審査官として生かせる場面は少なかったです。

唯一、個人出願人から面接審査の依頼があったときに、審査の観点だけでなく、経営の観点からもアドバイスができたことくらいです。

そんな折、これは診断士の資格が生かせるぞという場面がありました。

2019年ごろから、特許庁は「デザイン経営」を推し進めていたのですね。

それで、「デザイン経営プロジェクトチーム」という組織横断的な取り組みがずっと続いていたのですが、2025年に、新たにデザイン経営プロジェクトの一環として、「中小企業支援チーム」というチームが発足しました。

その新設チームのメンバー募集の告知が流れました。

これはまさに私の出番ではないか、と思い、当然手を挙げました。

で、やっぱりとは思ったのですが、思っていたのとは違いました。

私は、もうスタートアップのスピード感に合わせて、積極的に企業とコンタクトをとって、ガンガン支援できるような取り組みをイメージしていました。

蓋を開けると、全然予算も決定権もなくて、なんか毎週の定例会で事例研究ばかりやっている研究会みたいな組織になっていました。

まあそれはそれでいいと思うのですが、私のやりたいこととは違っていました。

そんな折、中小企業診断士のイベントで、「先輩診断士との懇談会」というものがあって、それに参加しました。

登録1年目の診断士向けに、ちょっと上の3~5年目の診断士の方々を呼んで、今後どのように動いていったらいいのかという指針を与えてもらうといった趣旨のイベントです。

そこで登壇してくれた先輩診断士の話がとても刺さりました。

新卒からテレビのキー局に入り、46歳までテレビマンをやったあと、つい最近診断士の知識を活用して、外資コンサルに転職した、とその方は言っていました。

全然コンサル業界とは違う業界から、46歳という年齢でも、外資コンサルに行けるのかと、衝撃を受けました。

当時私は43歳で、一度も転職したこともなく、公務員としてぬくぬくとやってきてしまったから、労働市場価値はめちゃめちゃ低いかもしれない。

しかしやってみる価値はあるし、ここで挑戦しなければ、60歳になった時に後悔すると思いました。

そして、その直後にすぐ、直属の上司に、「自分は外の世界で中小企業の支援がしたいので、転職活動をします」と告げて、転職活動を開始しました。

新卒から19年半も審査官をやっていた人間の労働市場での価値

ちなみに、民間だったら上司に隠れてこっそり転職活動ができると思うのですが、公務員は、利害関係者への接触自体が禁止されていて、転職希望先にエントリーシートを送ることすらコンフリクトチェックを人事の方にかけてもらわなければならないので、実質的な転職活動を職場に黙ってやることはほぼ不可能です。

なので、まだ転職先も決まっていないのに、「転職します」と管理職に告げざるを得ないのですが、この時点でもうピンチですね。

転職するということはいずれ辞めるわけで、やめる人間にこの先の出世のチャンスを与えるわけはないし、かといって、43歳という年齢で転職先が決まるのかは不明。

まあ結果的には7月1日に転職宣言をして、7月22日には内定が出てしまったので、めちゃくちゃあっさり決まっちゃったんですけど。。。しかも年収アップの転職が。

で、私は5社くらいの転職サイトを活用したのですが、特にビズリーチが良かったです。エージェントの質が総じて高いと思いました。

で、私はスタートアップの企業にいくか、もしくはスタートアップ支援ができる組織に行くかを希望したのですが、一方で、公務員という組織でぬくぬくと19年半も過ごしてしまった人間が、果たして年収アップの転職ができるのかという点にも興味がありました。

なので、ビズリーチでコンタクトを取ってくれた約15人くらいのエージェントのうち、特に優秀だと感じた4名くらいの方の選ぶ求人をすべて受けました。

結果、全然イケるという手ごたえでした。

コンサルについては、未経験ということもあり、外資はちょっと難しかったですが、国内であればいけるという雰囲気。ただし年収は下がりそうでしたが。。。

(43歳でプロパー特許庁審査官であれば、もろもろ手当込みで年収1000万円は超えます。しかも手厚い厚生年金と福利厚生もついてくるし、ワークライフバランスもとりやすいというお手盛り状態。)

コンサル業界でも、行政との橋渡しをする仕事があって、やはり行政における仕事のやり方を熟知している公務員は、需要があるということがわかりました。

で、企業知財部と特許事務所、及び知財系法律事務所であれば、すべて落ちないという感触。

全部感触、なのは、すべて最終面接まで行かずに断っちゃったのですよね。

私がいま所属している法律事務所は、最初受けるつもりがなかったのだけど、エージェントさんが急にねじ込んできて「カジュアル面談でいいからとりあえず気楽に遊びに行ってみたら」という提案でカジュアル面談に雑談しに行ったら、その場で即内定が出てしまって、なんか条件がめっちゃいいから内定承諾してしまったという話で。

他がすべて最終面接の日程調整をしているという段階で急に内定が出てしまったので、他をすぐに断らざるを得なかったのです。

公務員やめてよかったか

公務員やめた後は、実質個人事業主みたいに深夜も土日も働くようにはなりましたが、なんか、「人生を生きている」という感覚があります。

もちろん、安定していたあの頃に戻ったら、さぞかしこの不安感はなくなるのだろうな、という気持ちが芽生えることもあります。

そういうときは、「この選択を正解に変えるしかない」と自分に言い聞かせています。

リスクをとって挑戦し続けることで、公務員時代よりは苦労も多いですが、60歳になったときに、「いい人生だった」と思える確率が高いと思います。

特許庁審査官であれば、まず経済的資本の安定感は半端ないです。

ただ、人的ネットワークが広がりにくいことと、労働市場価値が実感できないこととで、トータルでの資本は薄くなりがちと思います。

リスクをとって外に出て活躍できれば、まず人的ネットワークは増えて、「自分はやれるんだ」という自信とともに労働市場価値も高められるとともに、ワンチャン、経済資本も公務員時代より増えるかもしれない。

これらの資本を総合的に高められれば、より充実した人生になるといえます。

なかなか挑戦できないまま19年半も公務員を過ごしてしまいましたが、それまでに蓄積した思いをぶつけるべく、今は前向きに挑戦し、公務員とは違った角度から世の中に貢献できるようにがんばっているところです。

引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

保田 亨介

東京都杉並区在住。弁理士。中小企業診断士(東京協会城西支部、栃木協会)。12歳と8歳の男女2児のパパ。旧帝→霞ヶ関→四大法律。杉並区のとある少年野球チームの代表。

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